むかしのなごり 野火止用水

玉川上水から用水を広げるために、新座まで用水を開発したのは、承応2年(1653年)。

徳川幕府老中の松平伊豆守信綱によって開削された用水。
別名「伊豆殿掘」とも呼ばれて伊豆国の官職である「伊豆守」の肩書を持っていた
信綱の名前からきています。

昭和に入ると、水が不足したり、生活排水の用水に変わっていきましたが
現在は、高度処理水として、小平市、東村山、清瀬市、東久留米市等、また当時の流水が流れている景観を見れる場所もあります。

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